先輩の声

北九州市の街が私のキャリアの出発点

両親共に多忙という家庭環境で育った私は、少年時代から自分で料理を作ることも多く、時には家に遊びに来た友達に料理をふるまうこともありました。高校時代のある日、友達から料理の味を褒められたことがきっかけで、「食事って、こんなにも人の笑顔を作れるものなんだ」ということに気付き、いつしか「将来は食に関する仕事に就くのもいいな」と考えるようになりました。高校卒業後の進路として選んだのは、九州栄養福祉大学食物栄養学部でした。この大学を志望した理由は、管理栄養士国家試験で高い合格実績を達成していること、大学開設後、年月があまり経っていないため、新しいことに挑戦できることなどに魅力を感じたからです。また生まれ故郷の佐賀から福岡へ一歩外に出ることによって、「まだ知らない自分に出会えるかもしれない」と考えたことも、この大学を選んだ大きな理由の一つです。大学では、食・人間・社会への理解を深める基礎教養科目をはじめ、管理栄養士の国家資格をめざす専門教育科目を学びました。先生方の熱心なご指導のおかげで管理栄養士の国家試験に一発合格することができました。そしてこの大学は、お互いの想いを共有できる一生の仲間と出会えた場所です。

数々の出会いが人生を大きく変える

就職は、食品メーカーや学校教員への道も考えたのですが、栄養学を応用して健康の維持・増進を図り疾病の予防に貢献する「臨床栄養」に興味を持ち、医療現場で管理栄養士として活躍したいと考えるようになりました。就職先は北九州市内の病院を志望していたのですが、最終的にご縁をいただいたのは故郷佐賀県の矢山クリニックという病院でした。大学卒業後に同クリニックで管理栄養士として働かせていただいた中で、いかに食事が人の健康に役立っているのかをあらためて学ぶことができました。そして、もっと自分の視野を広げるために2年後、佐賀県医療センター好生館に転職。総合病院での業務や研修・学会への参加等を通じて管理栄養士としてのスキルを磨いていきました。そうした日々の中で、わが国における栄養サポートの第一人者として知られる高知県・近森病院の宮澤靖先生の講演会に参加する機会に恵まれました。「栄養の力で治療成績は必ず上がる、患者さんの命をお預かりしていることを自覚し最善の栄養サポートを提供する」と語る宮澤先生の講演は衝撃的なものでした。「この方の下で働くことができたなら、自分はもっと輝けるはず」。そうした思いを胸に何度かアピールを重ねた結果、「うちの病院に来るか?」というチャンスをいただくことができ、2016年、念願が叶い近森病院へ。そこでは最先端の栄養サポートチームでの貴重な学びの日々や「一生ついていきたい」と思えるような素晴らしい上司との出会いがありました。その中で「自分もいつかは、この上司のような素晴らしい管理栄養士に成長したい」と思うようになりました。1年間という期限付きでしたが、志が同じ仲間との出会いは人生を変えるほどの宝ものになりました。近森病院旅立ちの日、上司から一通のメールがきました。「これから、うまくいく事ばかりじゃないかもしれない。つらい事や、悔しくてどうしようもない事もあるかもしれない。そんな時は、私達、仲間がいることを思い出して下さい」、涙がこみ上げてきました。この言葉が今でも心の支えになっています。

北九州市へ戻ってこられたことへの感謝をかたちに

次の職場について考える時期がやってきた頃、「今度は自分が好きな福岡県北九州市で働きたい」。そう思っていた時、運良く現在の病院にご縁を頂き、2017年に戸畑共立病院の管理栄養士として新たなスタートを切りました。そこでは、偶然にも大学時代の仲間も働いており、再会することができました。卒業後別々の道を進んでいましたが、「栄養サポートを通してたくさんの人を幸せにしたい」という共通の思いを抱いており、夢はいっきに近づきました。私にとって北九州市は、私のキャリアの出発点となった街です。だからこそ、この街の大学で学んだことや、縁あってこの街に戻ってくることができたことへの感謝をかたちにしたいと思っています。これまでに養った知識・技術を患者さんのために活かすことはもちろん、近森病院で培った最先端の栄養サポートの経験を生かし、急性期医療から在宅医療まで携われるこの共愛会でメディカルスタッフとして社会貢献していきたいです。また、食でいのちを支える管理栄養士の素晴らしさを子どもたちや中高生たちにアピールするなど、大好きな北九州市の街から自分を発信していきたいと考えています。

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